ハチクロとのだめの思い出

大学の2年か3年の夏休みに、ある友達がカナダに留学している間、のだめカンタービレとはちみつとクローバーのそれぞれ全巻を貸してくれた。Skypeでほんとに面白かったし泣いたと伝えると「泣いたのはハチクロだよね?!✨」とかえってきたのでいやのだめで泣いた!と言った。

自分は正直ハチクロは恋愛面も才能?凡人?選択?うんたらはまったくピンと来ず、キャラとかデフォ絵とかもちょっと苦手だった…

でもすごい人気のある漫画だから履修できて良かったし、貸してくれて本当にありがとう!

のだめも才能とかの話も出てくるけどその辺がそこまで実感としてピンと来なくてもエンタメとして面白いので私のような人間でも楽しめたし、あと最後の「ちゃんと分けて一つになったね」みたいなやつが個人的に刺さりまくり、というか今もまだ刺さったままでいるくらい感動した。

いまでもよくわからないけどはぐちゃんが先生とパートナー?になることを選んだのはプライドで言うと史緒が神野さんと婚約したようなことと同じなんでしょうか

TOEICの思い出(2010)

今週のお題 試験の思い出

大学一年生の時、原則全員受けることになっているTOEICの試験を前期の終わり頃に受けた。これで確か360点以上取ることが基礎英語の単位になるのだった。

4月のオリエンテーションで渡された課題を、私ははじめ我ながら生真面目に毎日こなしていたが、ある時周囲の誰もそんなことをしていないことを知ったとたん気が緩み全く手がつかなくなった。TOEICの日が迫り逆に周囲のみんなは集中して勉強し出してもやる気が戻らず無勉強で挑むことになった。

当日は天気が良かった。試験会場は自分の大学の講義室だった。指定の席に座ると隣は第二外国語で同じドイツ語のクラスのSさんだった。Sさんと私は当初同じグループだったが私が自然淘汰されて浮き始めていたのでうわぁあ、あ、久しぶり〜^ ^という感じだった(私が。向こうは冷静沈着だった)

試験は午後13時からだった。試験午後からとか寝そうだなと思いつつしっかり昼食を食べた結果、ポカポカした天候もあり、ただでさえ苦手なリスニングの大半を案の定眠ってしまった。

結果、360点は余裕で下回り、高校でとっていた英検2級の合格証明書を取り寄せて提出して基礎英語の単位の代わりにすることで再履修は回避した。

英検2級を取っていた自分を偉いと内心褒めまくったが、これからはTOEICという得体の知れないリスニング重視の世界なのだということに心は不安で暗くなった。

アマテラスオオミカミの思い出

小学3年生の時、叔母がハマっていた深海東州の本を貸されて読んだ。ぬ〜べ〜を読んでオカルトがやや好きだったのでその本も結構楽しかった。ある日私の家の薄暗い居間でその本を開き、「このアマテラスオオミカミって呪文を7回繰り返すやつをやろう」と友達に持ちかけて二人で半分ふざけながら唱えたところ、言い終わったタイミングでちょうど雲間が開けたのかその場が光に包まれた。おどろき、二人でめちゃくちゃ盛り上がった。

普通免許の筆記試験の思い出(2010)

今週のお題 試験の思い出

大学に進学した年の、18歳の夏休みに、地元で運転の普通免許を取った。

免許センターで筆記試験を受けた時、合格発表の待ち時間に、エントランスで一人の高校時代の部活の先輩と会った。

わたしから声をかけたけど、高校の時いつも元気だった先輩が露骨にテンションが低く、完全に関わりたくなさそうだった。

その先輩はかなり美人だったけど、私の部活のその学年の先輩達は何故か全員美人で垢抜けていた(インターハイに出た時実況掲示板でこの高校みんな美人だねと書かれていたほど)ので、おそらく普通の共同体ならその容姿カードでポジティブに扱われていたような部分が、カードが効かないからか容赦なく嫌がられて少し浮いていた。めちゃくちゃ善人だけど若干KYだったのである。おそらくユーモアのピントも集団の中でズレていた。でもそれらは例えばうちの学年なら浮かなかっただろうと思う。その程度。先輩達は部室でその先輩がいないとき、彼女がどう思われているのかを隠さなかったので、後輩である私たちの学年の部員もその先輩に対して(笑)みたいな態度を取ることが、人が、時々あったりした。私も一度だけ、空気に流されてしまったことがある。よくしてもらっていたのに。そしての“一度だけ”というのはかなり自分に甘いカウントの仕方をしている。

そういうのって自分が共同体から離れて安全な場所に居着いてから実感したりするし、退部してから思うところがたくさんあったのかもしれないと思った。輪の中にいる時は過適応の色んなバリエーションで明らかにおかしい挙動をしたり、理不尽な態度を取られても麻痺してたりするし。

先輩たちの学年の間で何があったかは知らないから(噂に聞いた部分もあるけど)、先輩達に対してとやかく思うことはないのだけど、私の学年はただ普通に面倒を見てもらっただけなのだから、その先輩に対して流された態度を取ったのは酷かったと思う。もちろん全員ではなく、まともで流されなかった人もいた。

高校1年の時、部活の私達の学年の女子で隣の隣の市のアピタに遊びに行き、二手に分かれて行動した時間、のちに絶交することになる女の子と先輩達の話をした。レベルが高すぎて、うちの学年なら全く問題にならないことが糾弾されてて、なんていうかうちらは後輩という立場で良かったね、と話した。

高校入試の思い出(2007)

今週のお題 試験の思い出

高校入試の試験中、消しゴム(分度器だったかもしれない)と線引きを1回ずつ待機室に忘れたことに気付いて小さく挙手し試験監視役の一人の先生に持ってきてもらった。2回である。神経が太いからではなく必死だったからである。

持ってきてくれたのがおそらく2回とも同じ教員だった。20代半ばくらいの綺麗な女の人だった。

倍率1倍だったその入試には無事合格した。でもほとんど関わらなかった。あまりにも関わりが薄かったので名前も教科も忘れてしまった。

その先生が体育の先生と結婚したのだか結婚まじかまで行って別れたのだかそんな噂があった。

このエピソードを思い出さない限り機嫌が良くなさそうで冷たそうな印象しか残らないので多分そんな雰囲気の人だったんだと思う。90年代美人という感じの華奢な顔立ちでワンレンボブをよく梳いた髪型だった気がする。

部室で一つ上の先輩たちの会話を聞いているとなんだか小馬鹿にされながら嫌われているような雰囲気があり、なんでそんなに嫌われてるのかはよくわからないけど分かる人には分かる勘に触るかんじっていうのがあるのかもなあと思っていた。

先輩が、その先生が来ていたカーディガンだったかアンサンブルを「あれイオンで見た。しかもあいつ色違い着回してるよね。イオンのイロチ着回しだよ?!」と憎たらしげに語っていたのがとても印象に残っている。

わたしにはそれがバカにされる選択だということ自体が知らない世界で、その先輩もかなりいわゆるいい女という感じの人だったので、一定以上垢抜けた人たちにはわかるコードというか、「アリナシ」があるんだ〜なと感心して聞いていた。

その先生とは自分が在学中直接話したことがあったかどうかすら記憶にないが、線引きを探して持ってきてくれたときのその綺麗な先生の優しい笑顔は重ための水色で透明の線引きとセットで覚えている。

大学入試の思い出(2010)

今週のお題 試験の思い出

大学入試の2次試験の時自分はまだ全問解き終わってもないのに周囲から見直しの問題文をパラパラめくる音がして、煽られてるようで腹が立った

ということをメールで友達に言ったら「私も全然解けなかったけどせめて他人にプレッシャーをかけるためにパラパラ〜ってやりまくったよ笑」と返ってきてなんかほっこりした。

優しいなあと思う。